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「ダルマ」と「カルマ」と霊還し

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『バガヴァッド・ギーター』はヒンドゥー教の古代神話マハーバーラタ(バラタ族の物語)の中でも、特に有名な部分です。

パーンダヴァ軍の王子アルジュナと、彼の導き手であり御者を務めているクリシュナとの間に織り成される二人の対話形式で、兄弟、親族を二分したパーンダヴァ軍とカウラヴァ軍の戦争(ダルマ・ユッダ)に直面したアルジュナは、クリシュナから「躊躇いを捨てクシャトリヤとしての義務を遂行し殺せ」と強く勧められます。このクリシュナの主張する戦士としての行動規範の中には「解脱に対する様々な心構えと、それに至るための手段との間の対話」が織り込まれているらしい。

バラモン教の基本概念であるダルマと有神論的な帰依(バクティ)、ヨーガの極致(ギャーナ・ヨーガ)、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガの実践による解脱(モークシャ)、そしてサーンキヤ哲学の集大成をなしている、とか。

「ダルマ」と「カルマ」は似てるけど、どう違うのかというと、
仏教ではカルマは「自分ではコントロールできないこと」、ダルマは「自分でコントロールできること」を意味する。
人間には それぞれに持って生まれた人生の目的や義務、真理があると言われており、それをヨガでは「ダルマ」と呼び、「カルマ」とは、行いや業のことをいい、自分のとった行いは必ず自分に返ってくるというシンプルな仕組み「因果応報」。
ダルマの法則が「宇宙の理」や「自然の理」という流れを指しているのに対して、カルマはその流れを止めることを意味する。
とか。

アルジュナが「何でこんな不毛な戦いしなきゃならんのだ〜」と嘆くのに対し、「生ききれ!」とアドバイスするクリシュナ、という構図。

カルマを残してはいけないということか?

井戸理恵子さんのアイヌの話によると、アイヌは残さない文化なのだそうで、人が亡くなると、その人を含め、残ったもの達に執着を残さないように、遺骸を家ごと燃やすのだとか。

だから、幽霊はいないらしい。イスラム教徒の考え方と似てるということでした。

(アイヌの話では「人間以外がカムイ」とのことで、洋服に食べ物を食べさせるために、着ている洋服に食べ物を擦り付けるという話も面白かったです。)

ホツマツタヱでは、天児屋根の父、市千魂命(ヰチヂ)が『霊還し』の方法を開発しています。

霊還し:乱れた霊の結を解き、迷える魂・魄を天地の宮に返すこと。
(ココストの道:上下・陽陰・魂魄の道理/条理/秩序)

執着した魂をこの地上(三次元)に残さないよう、配慮されていたことが伺われます。

かつては「魂は永遠」という価値観が一般的で、死ぬことを恐れない存在が多かったのかもしれないけど、見えない世界との繋がりが薄れている現代では、死ぬことは怖いし、執着を残してしまう魂も多いのかも。

戦いばかりだった頃は、強烈な執着を残してしまう魂が多かったと思われてきて、だから平家物語のような琵琶法師がいて、物語を歌に乗せて語ることで、生きる人たちへの教訓と、迷ってしまった魂への鎮魂としたのではないかとも感じます。

寺岡玲子さんの霊視によると、平家の魂はどこまでも平家で仲が良く、どちらかというと、源氏の方がドロドロしているらしい。源頼朝の猜疑心は相当なものだったとも言われますが、朝廷側の源頼朝への呪詛がキツく、成仏できていないようで、こちらの方が鎮魂が必要かもしれません。

最近放送していたアニメ平家物語の曲は、生き切ることの大切さを感じ取っているような歌詞だったりもして、「兵どもが夢の跡」と詠んだ松尾芭蕉について思い出してしまうのでした。

羊文学「光るとき」Official Music Video (テレビアニメ「平家物語」OPテーマ)

苦手な人がいた時、感謝することや相手の幸せを口にすることで、影響を受けないと言われます。
波動の法則では、苦手と思っていると引き寄せられると。
神の波動は感謝しかないそうで、神の波動になるには、感謝するのが手っ取り早く、悪いものは引き寄せられないらしい。ありがとう、ありがとう、と呟いていたら良いらしい。

人に対してネガティブな感情を持った時、そう思ってなくても「幸せになれ!」と言っていれば良いそうで、相手に嫌な気分にさせられることを遠ざけることが出来るそうです。



私も試してみたのですが、ムッチャ効きましたw

人には背景があって、それを理解することで「可愛そう。本当に幸せになって欲しい」と思うこともあります。
そういうのは、ある意味浄化でもあるのかなと。

霊に憑かれたりした時は、斎藤一人さん曰く「ゆっくり憑いてなよ〜。美味しいもの食べるから、一緒に食べようね〜。」とすると良いらしいw。これなら怖くないかも。

あるお坊さんに言わせると、怪談話も鎮魂要素があるようで、それによって浄化される魂もいるのかも。

怪談話で、幽霊の悲しさを知り、思いを共に分かち合って、浄化されるという動画もあったりして、ある意味感動的です。

断捨離やお掃除も浄化だけど、それぞれのやり方で、見えない世界を浄化すべく活動してる方の動画を共有できる時代になったのは、なんと画期的なことか。科学技術を良い方向に使えるのは、さすが日本人!と思います。

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倭(夜麻刀)→大和→日本。日本の歴史は、日本から出発し、世界に羽ばたいて細分化し、経験を積んで成長して帰ってきた人たちの歴史でもあるようです。

足名椎・手名椎の椎は、蛇でもあり、鎚でもあり、土でもある。諏訪大社の御神紋、梶の木は、鍛治でもあり、舵でもあり、風でもある。
伊勢の名の由来ともなった伊勢津彦は風の神。

伊勢津彦は、伊賀国穴石神社(現三重県阿山郡)に石で城を造っていたが、阿倍志彦(あへしひこ)の神(敢国神・あへのくにつかみ、敢国神社の祭神)が城を奪いに来るも、勝てずして帰ったため、石城(いしき・いわき)の音が訛って「伊勢」という名が生まれたと記す。

松尾芭蕉は忍者だったのでは?とも言われ、伊賀の出身だったりします。

伊勢津彦について、住吉大社神代記にはこんな風にも記されているようです。

大田田命の子・神田田命の子・神背都比古命は、天賣移乃命の子・富止比女乃命を娶り、伊勢川叱古乃命を生み、伊勢玉移比古女乃命を娶り坐し、伊西国(伊勢国)舩木に住んだという。

そうか、伊豆の西(伊西)だから伊勢なんだな。



by cookiecount2 | 2022-05-27 15:20 | スピリチュアル | Comments(0)